こんにちは! 酒田の社会保険労務士 村西です。
字がきれいな人だと、教養があって人格や心もきれいな人だと考えられていると思います。
私は若い頃、この考え方が好きではありませんでした。
字が汚い人でも教養があって人格や心もきれいな人もいると、まるで自分がそうであると言いたいかのように。
字は相手に伝達事項が正確に伝わればよい?
私はかつて、きれいに書くよりも、むしろ正確なことの方が重要と考えていました。
社会保険労務士という仕事柄、人の氏名や数字など誤解があってはならない文字はとにかく誰でも認識できる文字を書こうと意識してきました。
ですから、めっぽう字は汚いです。
人の氏名であれば 『齋藤』 と『斎藤』 、『高橋』 と 『髙橋』 などです。
類似の漢字に大げさな差異を付けて、誰でもその 『字』 であることを認識できればよいと考え、字の美しさを求めてきませんでした。
いろいろな方の履歴書を見て思うこと
ところで、皆さまの会社に入社する方の履歴書を見て思うのは、字がきれいな方はやはり学歴、職歴が整っていること。
もちろん、絶対的なものではありませんが、比較的そのような傾向は実際に感じます。
やはり、字は人を表すのではないか
私のような字の汚い人間は、まずきれいに手紙を書くことができません。
誤認のないように書いた字であっても、汚い字で書かれた手紙は書いた人を表すのではないでしょうか?
私が書いた手紙を読んで、『教養があって心もきれい』 などと思う人はいないでしょう。
かつて私の周りに、自分しか読めない文字を 『慣れの問題』 などと言い放った人がいましたが、そうではないと思います。
デジタルに慣れ過ぎて漢字を書けない、それも汚い字しか書けないことは恥ずべきだと思います。
これを自覚して字がきれいな人を観察すると、自分とは違い、やはり教養があって、人格や心もきれいな人が多いということに気づきます。
子供時代にろくに勉強してこなかったせいか、字もその当時のままでは恥ずかしいです。
いまさらですが 『美文字』 目指してみます。